私たち高校第11回卒業生は平成21年で卒業50年の節目にあたり、母校の創立110周年記念事業の日に併せて、7月4日に4年振りに同窓会を開催した。卒業後初めて参加した遠来組も含めて七十余名、山代温泉で同級生が営む「ゆのくに白雲閣」に集まった。新しくなった母校の見学も兼ねて、記念事業の式典や講演会に参加の人も多数おり、旅館のご好意により、学校までの送迎バスを出して貰った。皆、きれいに生まれ変わった母校と、変わらぬ天守台周囲の懐かしい風景を、口々に話しながらの旅館入りだった。  写真撮影、物故者の黙祷で始まり、宴席ではそれぞれ思い思いの話に花が咲いた。宴席の後はおなじみの小松高校校歌斉唱、母校の正面に向って左側に移植され、大木に育った11回卒の記念樹「椎の木」の写真公開もあり、当時を懐かしんだ。2次会も特別に用意してもらった一室で、それぞれ深夜まで旧交を温めた。全体会は3年ごとに地元で開催されるが(今回は母校創立記念の日に併せて4年振りに開催)関東では『たつみ十一会』の名称で毎年10月の最終土曜日に開催され、今年で34年目になる。今年は四谷駅近くのホテルで開催された。
 思い起こせば私たちの同級生は、戦後の義務教育が始まった昭和22年に小学校に入学した。戦後教育の最初の児童であったわけだ。余談であるが、皇紀2600年の昭和15年生まれでは、同級生に「紀」が付いた名前が多い。〝墨ベタ〟の教科書も直接には知らない。高校に入学してクラスとセクションの級友の移動に驚き、下駄履き通学から靴履き通学へ。署名運動まで起こして嘆願した男女一緒の修学旅行も、次年度の学年から実施となった不運な学年でもある。私たちの学年で最後になった男女別々の修学旅行。旅行先で出会った人たちに多少奇異な目で見られもしたが、破目も外せた。
 2010年には大半が古希を迎える。次の同窓会は地元を離れ、果たせなかった男女一緒の修学旅行と洒落てみるのも楽しいのではないかとの意見も出ている。
 老いてなお青年の感傷いまだ残れり。